彼女いない歴35年、友達0、月収16~20万で生活をしているヒロユキと申します。
東京に1人暮らししていることもあり、ほとんど贅沢もできず、社会人なのにお金がなくて空腹を耐えるという事も多々ありました。
その度に「俺はなんて不幸なんだ。この生活を抜け出すためにもっと頑張ろう。」と思い、色々と自分磨きをしてきました。
しかし、無能な僕が努力しても全く生活が良くなることはありませんでした。
むしろ「セミナーや美容にお金を使ったのにどうして変わらないんだ。お金を無駄にしたのか…。」と逆にストレスを溜め込んでいきました。
ストレスが限界に来たある日、すべて諦めて節約生活をしようと考えたところ、気持ちが楽になり幸せだと感じる瞬間も増えてきました。その理由について考察していきたいと思います。
何をするときに幸せを感じるのか
冒頭で書いた自分の経験をまとめると以下になります。
- 生活向上のために努力しても結果が出ない日々→不幸
- すべてを諦めて貧しい節約生活をする日々→幸せ
これは矛盾しているように見えます。貧しい生活を受け入れてしまえば未来もずっと貧しいままですし、自分が成長しているという喜びもありません。それなのに何故幸せを感じているのか。
疑問に思ったので「自分はどんな瞬間に幸せを感じるのか?」ということについて考えてみました。(あくまで自分の場合なので、万人に当て嵌らないかと思いますが…)
個人的な結論としては、比較対象よりも満足度が高い経験をしているときに幸せを感じるということでした。
わかり易い例のためにお金の話をしますが、「同期の中で一番評価されて、ボーナスを多くもらった瞬間」というのは良い気分になる瞬間だと思います。
この比較対象は、他人でなければいけないわけではなく過去の自分でもOKです。例えば、「去年よりボーナスが20%もアップした」という場合、仮に同期にボーナス額は負けていても嬉しいものだと思います。
生活レベルを上げると満足できるレベルも上がってしまう
前述した比較対象は過去の自分でも良いというのが、とても重要です。
比較対象を他人にしている場合は、自分の所属しているコミュニティの中で下位の存在になってしまえば、幸せだと感じることはできないと思います。
「あいつは結婚して子供も2人育てている。それなのに俺は…」
みたいな感じで常に自分は不幸だと考えてしまうと思います。そのため、他人と比較せずに過去の自分と比較するようにしていく必要があります。
また、比較とは相対的なものだということにも注意が必要になります。
私の祖母は、「戦争中はお米も食べれないし、常にお腹をすかせていた。お腹いっぱい食べるのが夢だった」という話をよくしてくれました。
そんな祖母ですが、実際は嫌いな食べ物をよく残していました。
年齢を重ねるうちに食が細くなってしまったということもあるかと思うのですが、いつでも食べ物がある状況に慣れてしまったため、「食事できるだけで幸せ」と感じなくなってしまったのが大きいと思います。
つまり、過去の自分と比べる場合でも、過去の自分より良い生活をしていると実感できなければ幸せを感じないということです。
生活レベルを上げてしまうと幸せの感度は下がってしまう
「過去の自分より向上している」という気持ちを満たし続けていけば幸せな生活は遅れると思います。
しかし、比較対象の「過去の自分」がアップグレードされていくと、それを超えるハードルがどんどん高くなってしまいます。
月10万円しかもらっていない人が、月11万円もらえるようになれば嬉しく思いますが、月11万円もらっている状態に慣れてしまうと月12万もらわないと幸せを感じないかもしれません。
これが続いていくと、自分を満たすための要求レベルがどんどん上がっていって、幸せを感じにくくなってしまいます。これを幸せの感度が下がると呼んでいます。
逆に、普段の生活レベルを最低限に保っておくと、ちょっとしたことでも幸せを感じられるようになります。
普段の生活に幸せは感じませんが、「過度な贅沢でしか幸せを感じない人」と比較すれば幸せを感じる機会が多い分、良い人生だと言えるのではないでしょうか。
幸せの感度を上げないための具体的な方法
- 他人と比較せずに過去の自分と比較するようにする
- 生活を向上させていくと幸せの感度が下がるので最低限を心がける
まとめると、上記2点を実践していくことで、コミュニティ下位の存在でも幸せを感じるようになっていくと思います。
幸せの感度が下がるので最低限を心がけるという点についてですが、具体的に自分が実践している内容を記載してみたいと思います。
- 食事は1日1食とする
- 睡眠時間は1日3時間とする
- インターネットの閲覧制限をする
※それぞれの詳細を記事にしていきたいと思うので、記事ができたらリンクを追加します。
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